糸川のユリコ―極寒の夜、熱海中央町の元赤線地帯に立ち続けていた老婆

人間DEEP案内

熱海市中央町の歓楽街を夜に歩き回っていたら、早咲き桜で有名な糸川に架かる橋の上に小柄で白髪の老女が一人でぽつんと立っていた。

いつもながらのDEEPアンテナが早速彼女の存在を「ポン引きである」と察知した。女性取材班連れで歩いていたのでまさか声を掛けられる事はないだろうと思いつつ、とぼけた振りをして糸川の桜を眺めていたら、声を掛けられてしまった。

見た目には80過ぎの婆さんが見知らぬ旅人である我々に糸川の桜への愛情を熱く語ってくる。酔っ払って桜の枝を折っちまう奴らにはこっぴどく怒ってやるんだよ、と。そうこうしているうちに老女は自らの出自を頼みもしないのに話しだした。

生まれは現在墨田区となっている本所の石原町で、若い時期に秩父の織物工場に奉公に出て過ごしていたと話していた。しかも死んだオヤジはヤクザだったとか色々ぶっちゃけ話を始める始末。オイオイと思うのだがこちらは婆さんのDEEPな人生に興味津々なのは明らかであるのでどんどん聞いてしまった。ややこしい家で生まれたというのでその後の人生もあっちこっち転々としていたそうだが、ここ熱海には30年くらい前に移り住んできたという。

今の職業は何ですか?とこちらの頭では分かりきってはいるのにわざとらしく質問を振る取材班。そしたらこう答える。

「熱海に遊びに来た男のお客さんを案内してあげる仕事」

どこに案内してあげるの?とさらに突っ込んだら

「それはひみつのアッコちゃんよ」とはぐらかされた。

ひみつのアッコちゃんが出てくる辺り、昭和ど真ん中世代であることを物語っている。そりゃ口数の無駄に多そうなお婆さんだが、そこまでぶっちゃける訳なかろうよと思った瞬間

「まあポン引きなんだけどね」と話してしまった。オイ自分で言っちゃったよ。

自らを「糸川のユリコ」と名乗っていたこのお婆さん、大方30年近く熱海中央町の糸川沿いに立ち続け、行き交う男性客に声をかけ続けてきたそうだ。象の足のごとく硬化し棒のようになった脛と足の甲の皮が苦労をしのばせる。しかも真冬なのに靴を履いている足はそのまんま素足だ。

だいたい夜6~7時、夜中の1時くらいまで橋のたもとで立ち続けてお客を待っているのだが「昨日は土曜日なのに一人も客が取れなかったよ」と嘆いておられた。熱海も寂れ始めて久しいが、掻き入れ時のはずの土曜日で1人も客が取れなかった日は今まで無かったらしい。

こうして30分程度立ち話をしている間も、男性客は2人か3人くらいしか通り掛からない。たまに近所の人が通り掛かるのだが、婆さんはいちいち気前よく挨拶する。しかし婆さんの素性を知っている住民の顔はどこかよそよそしい。

この辺が昔は赤線地帯だってことも、こちらは聞いてもいないのに話してくれたり色々多弁で素敵な婆様だった。かつては日本屈指の温泉街としてその名を轟かせていた熱海の裏風俗もいずれは消え行く運命にあるのだろうか。近くの伊豆長岡は現役バリバリなんですけどね。

この記事は2012年4月に別サイトにて公開していたものです。サイト移転に伴い当ページで再公開します。このページで紹介しているポン引き婆さん「糸川のユリコ」さんは、2013年初旬に亡くなられたと聞きました。最後にはホームレスになって凍死されたとの事です。ユリコさんのご冥福をお祈りします。


タイトルとURLをコピーしました